第4回 制度的基盤の確立を目指して-ネットワークによるNPO法の成立と改正運動


1995年4月15日といえば日本NPOセンター誕生の1年半以上も前になるが、この日、東京渋谷の日本青年館には100人以上の人たちが全国か ら集まり、熱気に満ちていた。新しい非営利法人制度の立法化に対して提言をしていた3つの団体の呼びかけで、「市民活動の制度に関する連絡会」が発足した のだ。3つの団体とは、立法活動そのものを目的に前年11月にスタートしたシーズ=市民活動を支える制度をつくる会、大阪大学を中心に研究会を重ねてきた NPO研究フォーラム、総合研究開発機構の調査に参加した有志による市民公益活動の基盤整備を考える会。以後、NPO法が成立するまで、この「連絡会」と いうネットワークを共通の舞台にして、NPO法案についての市民的議論が広がっていく。
私は市民公益活動の基盤整備を考える会の代表としてこのネットワークに参加し、連絡担当世話人として動いていたが、96年11月のセンター設立後はセン ターの事務局長として関わることになり、センター自体もこのネットワークの事務局の一翼を担うことになる。
センター設立当時のNPO法をめぐる政治状況は、与党は自民・社会・新党さきがけの連合政権で中々まとまらなかった法案が漸く国会提出に向けてまとまり 始めたところ、野党の新進党はいち早く法案を国会に提出し一旦廃案になった後に再提出したものの市民団体からは不評でほとんど無視されたまま、野党の民主 党は独自法案を出すか与党との政策協議に向かうか検討中、日本共産党は民法改正に準じる独自法案を準備中、といった様子である。このような中で市民団体側 が連立与党に求めたのは、ともかく法案を出して表舞台で議論をしてほしいというもので、私自身も、そのような主張を何度かした。こうして「市民活動促進法 案」は国会に提出。センター設立から間もない12月16日のことだ。
早速そこから与党案の法案修正に向けた表の動きが始まる。市民団体側は10項目の修正要求をまとめて連立与党に迫り、民主党も修正を求めて与党と政策協 議を開始、与党の中では社会党と新党さきがけが市民団体や民主党の修正要求を積極的に受けて自民に迫るという構図で議論が進む。3月には日本共産党も法案 を提出。センターでの私の業務の多くは、これらのための連絡やヒヤリングに対応することにあったが、むしろ全国をまわって講演することに多くのエネルギー を割いた(注1)。その点、センターの全国ネットワークが有効に働いた。本格的な審議入りは5月も末になってからであるが、与党案の基本的な修正事項はほ ぼ了解ずみで、6月に入っての大阪と東京で公聴会を経て衆議院を通過する。97年6月6日、横浜で開催の第一回NPOフォーラムの前日であった。
しかし参議院自民党は法案に消極的ですぐには採択されず、継続審議となって通常国会は閉会。9月からの臨時国会でも審議に入れず、さらに継続審議。前途 は全く霧の中であったが、経団連の積極的な動きもあり、年をあけてから修正協議が具体化、98年3月には名称を特定非営利活動促進法と改めることで参議院 を通過。再び衆議院にもどって全会一致で成立する。難航はしたが、その発端からして「市民立法」と呼ぶにふさわしい立法過程であった(注2)。施行は8ヶ 月半後の12月1日。
法律には施行後3年を目途に見直しを行うことを附則に定めていたから、早速それに向けての市民団体側の体制を整える。99年6月にはそれまでの連絡会を 「NPO/NGOに関する税・法人制度改革連絡会」として再編、それまで各地で設立されつつあったNPO支援組織の多くが、その結成に参加した。日本 NPOセンターは世話団体の一つとして事務局を担うことになり、その後の認定NPO法人制度の実現や改正、NPO法自体の改正について、積極的に関わって いった(注3)。

注1:センター設立からNPO法施行までの主な講演とその背景については、山岡義典著『時代が動くとき―社会変革とNPOの可能性』ぎょうせい、1999を参照。

注2:NPO法の立法過程については山岡義典執筆の「立法過程への市民参加―NPO法」(市民立法機構編『市民立法入門』ぎょうせい、2001所収)参照。

注3:日本NPOセンターで連絡会の事務局を担当したスタッフは、初代が治田友香、続いて李凡、現在は吉田建治である。


1997年6月6日、NPO法の成立を訴え、
国会内で記者会見をしている様子。
(写真提供:シーズ=市民活動を支える制度をつくる会)