第1回 それぞれの思いが1つにまとまるまで-設立準備の11か月


「設立に向けて本気で動こうか」と最初に集まったのは1995年12月22日、霞ヶ関ビル35階の東海クラブの一室であった。これまでにいろいろな立場でそれぞれに今後のNPOの拠点づくりに関する調査を行ってきた実務メンバーたちだ(注1)。名称は仮に「NPO情報センター」とし、各界を代表する人に参加してもらって議論を深め、96年中には本格的なセンターを立ち上げることを決意した。第1回の設立準備企画委員会である。

こうして翌96年の2月22日には、各界のキーパーソンの賛同を得て第1回設立準備懇談会を開催。委員は7名(注2)、 場所は丸の内のパレスホテル。10月までに3回の懇談会を重ね、それぞれの思いを活発に語り合いながら基本的な枠組みを検討した。懇談会の合間には12回 にわたり設立準備企画委員会(4回は専門部会)を開催、具体的な組織のあり方や活動内容・経費について煮詰めていく。6月には設立準備事務局を本郷の東大 正門前にあった社会開発研究所に開設、企業を含めた関係団体や各地の関係者への参加呼びかけを開始する。アメリカの多様なセンター機能の実態も確認すべき と国際交流基金日米センターの助成を受け、5月には予備調査を、9月には本調査を実施した(注3)。本調 査にあわせて経団連も訪米ミッションを派遣、何日かは現地で調査団と行動をともにするなど、NPO関係者と企業の社会貢献担当者の交流も進んだ。アメリカ で接したキーワードは「キャパシティ・ビルディング(力量形成)」と「インフラストラクチャ・オーガニゼーション(基盤的組織)」。以後、議論の大きな核 となる概念だ。また東京と大阪でそれぞれ2回、名古屋で1回の意見交換会をもち、関係する仲間の間で次第に大きな流れが見えてきた。

このような経過を踏まえてさらに具体的な活動内容を確認、最終的には名称を「日本NPOセンター」と決め、11月22日の設立総会に至る。不思議にいつ も22日だ。アルカディア市ヶ谷の会場には、旧知も含め全国各地から2百数十人の賛同者が駆けつけた。「NPOの基盤を強化し、行政・企業との新しい対等 の関係を確立すること」を謳った設立趣意書を採択、当面は任意団体でいくこととしてその規則を定め、13人の理事を選出、代表理事には播磨靖夫・星野昌 子・山本正の3人を、常務理事として早瀬昇と山岡の2人を選任した。山岡は同時に事務局長も兼務。設立総会に続いて「これからの社会とNPOの役割」を テーマに設立記念フォーラムを開催、山岡が基調講演で今なぜこのようなセンターが必要かを語り(注4)、続くパネル討論では早瀬昇の司会で各界の6人が活発にセンターの意義やありかたを議論した。不安はいっぱいあったが、熱っぽいスタートであった。

注1: このとき集まったのは、早瀬昇(大阪ボランティア協会理事・事務局長)、田代正美(経団連社会貢献部課長)、渡辺元(トヨタ財団プログラム・オフィ サー)、久住剛(神奈川県都市部職員)、山岡義典(フリー)、それに準備事務局の担当を申し出ていただいた社会開発研究所長の橋本家利と主任研究員の深野 恭史。

注2:設立準備委員会に参加したのは、NPOサイ ドからは山本正(国際交流センター理事長)、播磨靖夫(たんぽぽの家理事長)、山崎美貴子(東京ボランティアセンター所長)、経済界からは若原泰之(経団 連1%クラブ会長)、椎名武雄(経団連社会貢献推進委員会委員長)、それに企画委員を代表して早瀬と山岡。第3回には、経済界から川上信次郎(東京商工会 議所常務理事)、樫畑直尚(日本青年会議所会頭)にも参加いただいた。

注3:この内容は『日本NPOセンター設立に関わる訪米調査報告書』としてまとめられ、97年3月に日本NPOセンターから頒布された。

注4:このときの基調講演は『月刊ボランティア』97年1月号(大阪ボランティアセンター刊)に掲載、その後『時代が動くとき』(山岡著 01年 ぎょうせい刊)に収載。

設立記念フォーラムパネル討論の様子